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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1994-10-28 第131回国会 衆議院 環境委員会 第2号

農林省の事務次官で、農務局長で、農学博士で学者でもある。これは米沢村の鋳物師屋の出身だ。息子は今世界一の数学者だ。この人がちょうど昭和三年の金融恐慌、それから昭和五年に農業恐慌、そのときに農林省農務局長当時次官石黒忠篤さん。何をやったかというと、当時、農村恐慌ですからね、負債整理法をつくりました。それから土地改良につきましては、耕地整理に関する法律をつくった。団体については農業団体法

竹内猛

1990-05-24 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号

○藤田(ス)委員 二国間の協議という問題についても、アンダーソン海外農務局長が、農業交渉の成り行きにかかわらずガットに日本の米問題を提訴すればアメリカは勝てると思う、こういうことで、これも一つの今アメリカからかけられているいわばおどしだというふうに思うわけです。このアメリカの言うウルグアイ・ラウンドの成功と米の輸入自由化阻止というのは全く二律背反、こういうふうに言えませんか。

藤田スミ

1981-03-24 第94回国会 衆議院 決算委員会 第4号

そこで、別の質問になりますけれども、こういうことで、この保留地というのは、別々に登記はされていないけれども各メンバーの土地集合体であって決して組合のものではない、保存登記かされているけれども組合のものではないということが言えると思うのです、これは農務局長通牒によっても明らかでありますし、この登記によっても明らかです。この登記が正しいということであれば、そう判断せざるを得ないわけです。

新村勝雄

1981-03-24 第94回国会 衆議院 決算委員会 第4号

新村委員 昭和五年五月八日農局一一〇五号、鹿児島県知事あて農務局長通牒というのがありますけれども、これによりますと、これは土地区画整理組合でも同じだと思いますが、「耕地整理組合整理施行地区内の土地所有者を以て組織する社団法人であるから組合自ら土地を有する能力はない。従って組合地区内の土地を競落することはできない。」という通牒があるわけです。

新村勝雄

1965-05-14 第48回国会 衆議院 本会議 第44号

当時は幣原内閣であり、農林大臣松村謙三氏、農務局長和田博雄氏でありました。彼は、和田農政局長と協力して農地改革の大事業に着手することができたという話をしておりました。しかしながら、マッカーシー旋風は、純粋な自由主義者である彼を赤として農務省より追放したのでありました。彼はある高官に拾われて、南ベトナムにおける農地改革の仕事を担当することになった。

稻村隆一

1958-01-29 第28回国会 参議院 議院運営委員会 第5号

石黒君は、明治四十一年七月、農商務省に入り、農務局長、蚕糸局長農林次官を経て、昭和十五年七月農林大臣、同二十年四月農商大臣に任ぜられ、終始わが国農林漁業行政に携わり、この間、満州移民国内開拓等にも努力したものでありますが、同二十七年五月参議院議員に当選し、現在に至っているものでありまして、この聞、同三十年十二月から約一年半余にわたり海外移住審議会委員の職にあったものであり、また、現に農業労務者派米協議会会長

岡崎英城

1956-11-24 第25回国会 参議院 議院運営委員会 第9号

お手元の履歴書で御承知のように、石黒君は、明治四十一年七月農商務省に入り、農務局長、蚕糸局長農林次官を経て、昭和十五年七月農林大臣に、また同二十年四月農商大臣に任命され、同年八月退官し、その後、同二十七年五月以来、引き続き参議院議員に当選し、現在に至っているものでありまして、この間、終始わが国農林漁業行政に携わり、また満州移民国内開拓等にも努力され、さらに昨年十二月、両議院一致の議決を経て初代

田中榮一

1955-12-09 第23回国会 参議院 議院運営委員会 第8号

石黒君は、明治四十一年農商務省に入られまして、農務局長、蚕糸局長農林次官を経て昭和十五年七月農林大臣、同じく二十年四月には農商大臣に任ぜられまして、終始わが国農林漁業行政に携わり、その間満州移民国内開発等にも努力したものでありますが、同二十七年五月参議院議員に当選せられまして、引き続き現在に至っておるものであります。  

田中榮一

1953-06-17 第16回国会 参議院 議院運営委員会 第9号

石黒君は、お手許の履歴書で御承知の通り、明治四十一年農商務省に入り、爾来永年に亘り農林行政に携わり、その間、農商務省農務局長、農林省蚕糸農務の各局長農林次官農林大臣農商大臣大蔵省顧問農林省顧問等の要職を歴任し、現在参議院議員なつておるものでございまして、農林行政に関して深い造詣と高い識見を有するものでありますので、今回インド国バンガロールにおいて開催の国際連合食糧農業機関アジア極東地域会議日本政府代表

福永健司

1951-02-19 第10回国会 衆議院 大蔵委員会 第17号

元来農地改革進行途上において、農地に対する差押えの問題については、これは農地改革進行上やらないという建前であつたのでありまするが、そのことについてもやはりこれは農林省の、たしか農務局長——次官通牒まで行つていなかつたと思うのでありますが、これは平田主税局長もここにおられるのでありますが、農地の問題について大蔵、農林両省間において、これはどこかの税務署からの照会によつて、大蔵省主税局長から農務局長

田中織之進

1950-12-07 第9回国会 衆議院 経済安定委員会 第6号

今年の秋肥農林省農務局長にそれをお願いいたしまして、ただ肥料が困るでは私どもの方でもほんとうに困るので、どこからどのくらい肥料が行くのだという、そのデータをください、そうすればそのような処置をとるからというお話をしたのでありましたが、とうとう今年は出ませんでした。ぜひ来年はそういうように軌道に乗せたいと思つております。

木島虎藏

1950-04-26 第7回国会 参議院 農林委員会 第32号

而して第四十六議会では農村振興に関する決議案が出るようになつたのでありますが、更にここまで行く前提といたしまして、時の農林省の岡本農務局長が、当時の攝政宮殿下に対しての御前講演であります、当時の攝政宮殿下が、大正十一年の五月二十九日に農林省商品陳列所の別館で開かれました仏国美術展会会に成らせられたとき、戸田事務官を通じて六月五日の午前十時から霞ヶ関の仮御所で農村問題、殊に農家問題について詳細なる実情

藤野繁雄

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